東京オリンピックが開幕した。開始直前までごたごたが続いているが、無事に盛況に終わることを祈るしかない。しかし、無観客は残念の極み。国立競技場の観客状況を大型コンピューターにかけてシュミレーションしたら、コロナの感染はゼロだったとの話があった。私のチケットはパーになってしまった。生の緊張感、臨場感を感じたかったなあ。返還になる入場券代金を旅行に使いたいと思っている。

目次
1.2.3Dから4Dの時代へ
1.3.何歳になっても挑戦する
2.技術は日進月歩
Civil 3Dで生産性アップ
現場のベテランが50歳でCivil 3Dを始める!
現場経験40年の技術者が、50歳からCivil 3Dを始めた! シニアパワーがBIM/CIM活用を引っ張る玉川組(オートデスク) 2018年にBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)/CIM(コンストラクション・インフォメーション・モデリング)の本格活用を始めた玉川組(本社:北海道恵庭市)は、ベテラン社員が中心となってオートデスクのCivil 3DやRevit、InfraWorksなどのソフトを使いこなしている。その結果、プロジェクトの合意形成やICT土工などで生産性向上の効果が出始めた。シニアパワーがさく裂する同社オフィスを直撃した。
(引用元:https://ken-it.world/success/2021/07/veterans-leaded-bim-cim.html)

50歳から『Civil3D』※1をはじめ、生産性向上に繋がったとのこと。高齢者の働き方の一つかもしれないが、私もまだまだ老いていられないと刺激を受けた。やはりITを使いこなせないと若手にも相手にされなくなってしまうと感じる。常々私が社長から言われているよう、『孫にも相手されなくなっていく』というのは、何より寂しい限りだと思う。今後ともチャレンジを続けていきたいと改めて思った。
※1・・・AutoCAD Civil 3D 土木設計プロジェクト(CIM / i-Construction)の設計、作図、管理をサポート
3Dから4Dの時代へ
そして今は3Dの時代、それに時系列を加えた4Dの時代になっている。
熱海の土砂災害の際には、ドローン撮影データを点群に落とし込み、3Dにしていた。それを時系列にすることで、どのように変化していったかが一目瞭然となっていた。災害が起こる前のデータと重ねれば、どのように変化したか、また無くなった家屋等もリアルでわかる。
国交省はPLATEU※2を使って、全国の主要都市をデータ化して利用できるような取り組みをしている。設計データも紙ベースではなく、点群データでの交付にしようとしており、3D活用はすぐそこまで来ていることが分かる。それらに対応できなければ置いてきぼりになってしまうと思われる。
※2・・・PLATEUー国土交通省が主導する、日本全国の3D都市モデルの整備・活用・オープンデータ化プロジェクト
今オリンピックで盛り上がっているが、勝つためには体力や筋力以外に、頭脳とかメンタルを求められているように感じる。建設業界も、ITを利用した総合力を求められているように思う。
以前は、設計屋、測量屋、施工屋と完全に役割・担当が分けられて工事が行われていたが、今後はi-Construction(ICT)の影響でその役割分担は薄れていくと思う。施工屋の作業が多くなり、自ら測量~設計を行う部分が大きくなっていき、それを活路にして事業展開していかなければとも思う。それにはやはり当初の投資はかかるだろうが、圧倒的なスピードで対応していくのが重要になってくる。
何歳になっても挑戦する
50歳からCivil 3Dを始めた方についての話に戻るが、私は65歳を過ぎても新しいことには興味があり、面白く思う。
現在仕事をしている人たちには、何事にもトライする気質みたいなものを持っていってもらえればと思う。仕事も遊びも。
自分のことになるが遊びで始めたゴルフにも没頭できたのも探求心があったからだろうし、そこでの人間関係の繋がりも大きく増え自分のコミュニケーション能力も向上したように思う。
65歳も過ぎてまだ働ける環境を頂いていることには感謝しかない。それも遠隔で。
こんな環境を頂いている高齢者はいないんじゃないかと思う。やる気と健康があれば社会に貢献できることを知ってもらえればと思う。
多少なりとも自分が知りえる知識なり情報を、伝えていければと思っている。
小田島組もものすごいスピードで改革が行われている。ぜひとも時代の先駆者になって進んでもらいたい。
自分も、『あいつはもういらない』と言われるまで会社にいるかもしれない。
技術は日進月歩
(有料記事になるが)日経コンストラクションのある記事を読んだ。【ベテランの技術を伝承】という題名の記事で、ベテランの技術継承方法を工夫することによって若手の意欲向上や技量の向上に繋がった、という内容だった。
ベテランは若い人よりも経験値があるので、どのような時代の流れがあって今の土木業界の技術があるのかわかる。しかし当時は欲しかった頭脳も、今はITを使えばわかる時代だ。
ITを導入する前は図面は手書きだったし、構造計算も計算機を使っていた。計算式もわからなかった。わからないことはすべて本で調べるか聞くしかなかった。
それを思えば今は調べようとすればいくらでも方法はあるし、答えも簡単に導きだされるうらやましい時代。
昔はわからなかったことが、簡単に、すぐわかるようになっているから、知ろうとすることに敏感になっているのかもしれない。新しい技術、工法が日進月歩のように開発されているが、それも現場の体験の上に積み上げられたものだ。
特に、昔やっていた技術が今はどうなっているかは非常に興味がある。私が山梨の工事に関わろうと遠征したのもフロンテジャッキング工法※3がR&C工法※4に進化して精度を上げていたのを確認したかったからだ。根っからの土木屋かもしれない。若い人には、新しい技術とかには敏感になって興味を持ってもらいたいし、自分は地球の彫刻屋の認識になってもらえればうれしい。
※3・・・フロンテジャッキング(FJ)工法
※4・・・R&C工法
定年延長が当たり前になってきた昨今、ベテランの使い方もいっぱいあるだろう、私はその意味では技術はあまりないかもしれないが、目一杯働く機会、場所を与えていただき、生きがいを感じている。好きなことを好きにやらせていただき、感謝しかない。
35年前の護岸工事
今回は35年前のちょうど今の時期に施工した河川護岸工事についてお話しする。
頭首工※5のすぐ下流の災害復旧工事でコンクリート格子張護岸や根固めブロック層積みの作業があった。
※5・・・頭首工

締切は中州があったので、完全に施工個所を締め切って、反対側に瀬替えを実施。

その当時は中州に個人所有の土地と畑があり、何とか川を渡っていく方法を考えてもらいたいとのこと。様々なことをやらされた。これも経験のなせる業だっただろうか?

上記の施工箇所は今まで何回災害にあっただろうか?足を運んでみたら、今は状況が変わっていた。中州には行けなくなってしまっていた。その時やった格子張コンクリートは確認できたが、ホロースケアのブロック護岸保護されていた。面影はまだあってよかった。




藤原 吉一
(ふじわらよしかず)1953年生まれ 秋田県出身 58歳の時に、転職を決意。どうせなら人生最後の会社は面白いところに行こうと。秋田を離れ、岩手の会社を受験。2社からは履歴書の「58歳」ということで断られ、小田島組を受験。社長の「この人は面白そうだから」という理由で、入社。入ってすぐに既存社員とぶつかり「前の会社ではこんなことやったらおかしい」とクレームを言うが、社長から「お前はその会社が嫌でうちに入ったんだろう。だったら、その会社のことを言うのはおかしいだろ」と言われ「確かに」とうなづいたというエピソードも。その後も、お客様を指さして社長からしこたま怒られたり、遠く沿岸の現場で同郷の社長と喧嘩したりと、破天荒な会社生活を送る。最後の仕事は、自分が東京の会社に就職したときにやった同じ仕事を、山梨で施工するというあり得ない偶然が。現在は、秋田からテレワークで、会社の施工管理の書類づくり。1歳の孫とともに、悠々自適な生活を送る好々爺。