【藤原のぼやき】#15 5Gを利用したバックホーの遠隔操作が可能に!?


目次

1.「朝礼アプリ084」

2.バックホー 遠隔操縦の実証実験を開始

3.東北地建湯沢工事事務所の工事



「朝礼アプリ084

 以前に紹介した朝礼アプリが販売されていた。



 料金も月額13,200円で最大10プロジェクト(現場)まで利用することができ、10プロジェクトを超えて利用する場合は1プロジェクトごとに1,320円となっていた。プロジェクトに登録された朝礼に参加できるスマホ台数は、1朝礼あたり最大50台以下が目安となっている。


 内容も幅広くなったようで料金は安いとは思った。弊社のデータトリブン事業部にも導入を検討していただいている。(←変更になるかも)


バックホー 遠隔操縦の実証実験を開始

 近頃は、ICTの導入でマシンガイダンス、マシンコントロールが当たり前になってきた。これをやらないと置いてきぼりになってしまったようだ。

さらに、建設機械の遠隔操作が相当進んできているように感じる。


 建設機械リース事業カナモトとソフトバンクが第5世代移動通信システム(5G)の大容量通信を利用してバックホーの遠隔操縦の実証実験を開始した。



(参照元:ソフトバンクとカナモト、 建設機械の遠隔操縦の実現に向けた実証実験を実施

 実験ではカナモトが開発した遠隔制御装置【Kanarobo(カナロボ)】とカメラ4台を搭載、加えて現場には全体を俯瞰するカメラ3台を設置して行った。

オペレーターは現場から約50Km離れた操作室からバックホーを操縦、問題なく作業できることを確認した。


通信ネットワーク環境で遠隔操作する場合、映像の遅延と操作信号の揺らぎなどで操作に違和感が生じることがありますが、無線区間を優先制御機能で安定させて、伝送区間を閉鎖網にすることで映像の遅延を短縮することができた他、閉鎖網内でバックホーと操作室を直接通信することで操作信号の揺らぎを軽減させて、操縦者が遠隔でも違和感なく建設機械を操縦できることを確認いたしました。

(出典:https://www.kanamoto.co.jp/static/news/2021/pdf/210512-wv9aFuhitUum/210512.pdf

 2022年以降のサービスの提供開始を目指しているとある。5Gもそれまでにどこでも利用可能になるんだろうか?


 現場に行かなくても作業できる時代はもうそこまで来ている。通勤時間の削減以上の効果になっている。


 それと危険な作業には威力を発揮しそうだ。災害現場、土砂災害等、いま弊社が請け負っている法面工事の作業にはもってこいの感じがする。


東北地建湯沢工事事務所の工事


 私がまだ22,3歳の頃の東北地建湯沢工事事務所の工事についてお話ししようと思う。



 横堀道路改良第1工事の現場代理人を仰せ付かったが、国交省の道路工事は初めてだった。それもバイパス工事のかかり始めの工事で、担当出張所は横手出張所だったがその後は湯沢出張所新設担当になった。内容は仮設道路盛土、横断排水、排水工、人道ボックスカルバート1か所、PC桁橋梁1か所だった。

 施工計画書の作成も手書きで、打合せ簿の様式も建設協会から購入しカーボン紙を挟んで手書きしたり、協議書の協議内容は赤カーボンを使ったりした。


 施工計画書打ち合わせも今はどうやっているかわからないが、当時は9時から開始して半日はかかっていた。その時の打ち合わせで買収に絡んで稲荷神社の支障木伐採を行っているが、2名亡くなっているから気を付けるようにとのこと。最初の伐採で1名亡くなり、再度の実施でまた1名亡くなったとのこと。これは大変と思い、工事開始から毎朝、稲荷さん好物の油揚げを2枚捧げてお参りした。そのおかげかどうかは定かではないが事故はなく終わらせることはできた。


 まずはセンター測量、初めてクロソイド曲線を体験した。授業でやり方を教わったぐらいで、いまと違って20秒読みのトランシットとテープでの測設。コンサルで測設はしてあったが主要測点だけで、構造物関連の測設は自分で実施しなければならなかったが、何とか測設できた。


 横断排水工については各々図面があったので、平面図通り現地に落として作業して完成したら、「出張所長が現場に来て現況と位置がマッチしていない、図面はただの絵に過ぎないから、位置をずらして直すように」との指示を受けた。これには参ったが、変更協議しなければいけないことがまだ分からない青二才だった。


 所長に褒められたのは、PC桁の桁間の下のコンクリート、現在はルーヒングを敷いて対応しているのがほとんどだと思うが、当時はまだなかった。大昔は縄を挟んで対応した話をきいたことがあった。自分は面木を挟んで対応した。


 自慢じゃないがその時のコンクリートはまだクラックもなく健全だ。





 この時の所長は、次の年亡くなってしまった。お稲荷さんの祟りじゃないと信じたい。

 同じ時期にすぐそばの山口第1トンネルが発注され某ゼネコンが受注、高校の同級生が配属されてきた。実家が近くだったかららしい。

 地山が悪く、最初は上半でやっていたがダメで側壁導坑先進に切り替えて施工していた。中に入って見させてもらったが大変そうだった。


 今、コンクリートの打ちあがりを見ても大変だったのがわかる。

この道路のすぐ横を東北中央自動車道の工事が行われている。




 日本列島改造論がまだまだ進んでいるんだと思う。いろいろ批判はあったんだろうが、先見の明のある政治家だった。


 この地は小野小町の生まれたところと言われている。

 小町まつりがあるんだが、今年もコロナで中止。機会があったら是非おいでください。





藤原 吉一

(ふじわらよしかず)1953年生まれ 秋田県出身 58歳の時に、転職を決意。どうせなら人生最後の会社は面白いところに行こうと。秋田を離れ、岩手の会社を受験。2社からは履歴書の「58歳」ということで断られ、小田島組を受験。社長の「この人は面白そうだから」という理由で、入社。入ってすぐに既存社員とぶつかり「前の会社ではこんなことやったらおかしい」とクレームを言うが、社長から「お前はその会社が嫌でうちに入ったんだろう。だったら、その会社のことを言うのはおかしいだろ」と言われ「確かに」とうなづいたというエピソードも。その後も、お客様を指さして社長からしこたま怒られたり、遠く沿岸の現場で同郷の社長と喧嘩したりと、破天荒な会社生活を送る。最後の仕事は、自分が東京の会社に就職したときにやった同じ仕事を、山梨で施工するというあり得ない偶然が。現在は、秋田からテレワークで、会社の施工管理の書類づくり。1歳の孫とともに、悠々自適な生活を送る好々爺。